プロローグ
印石についてお話ししようと思います。実は,もうはまりまくっています。日本ではほとんどマイナーで,一部書家のかたがたや篆刻家(てんこくか)という人たちが使うものです。たとえば,美術館で有名な書画をみると必ずハンコが押してあります。作家本人が押す,落款が普通ですが,台北の故宮などで内府に入っていた書画を見ると,一幅の書に30くらいハンコが押してあるのをご覧になったことがあると思います。これらのはんこの大部分は石で出来ています。このあたりは,後にお話ししたいと思います。

印の歴史や,いわれはまた別途ということにして,では印材をどのように楽しむかについてご紹介しましょう。


印材と茶壺:文人趣味
今までも文人趣味に関してはいろいろお話をしてきましたが,印材も茶壺と同様文人趣味の生活には切っても切れない必需品です。

おもしろいのは,宜興紫砂の善し悪しと印材の善し悪しというものの見方はまったく100%同じであるということです。だいたい,素材となる石を砕いて焼くかそのまま切り出すかの差はありますが,あとはほとんど宜興紫砂と印材の善し悪しなどは全く同じで違和感がありません。ですから茶壺がお好きな皆さんになら,容易に印材にはまることは保証します。ってまた道連れを募集していたりして・・・このあたりはまた次の機会に述べたいと思います。

そもそも中国美術で石といえば,なんといっても王道は玉(ぎょく),文人趣味では怪石(かいせき:日本では水石)ですが,印石材も文人だけでなく内府でもかなりの地位をもっていて,昔から急須の何倍も高価に取引されています。

印に使う石材といのは,石なら何でも良いというわけではないのです。近くの河原などから石を拾ってきて彫るのかというとこれがそう生やさしいものではなく,非常に奥が深く,昔から文人趣味のひとつとして立派にステータスを持っています。

筆蝋石(葉蝋石)
緑霞石
塊滑石


という三種類の石を一般的には印石材と呼んでいます。

そもそも印というのは,官職を表したり,封泥といって手紙のセキュリティのために使われていたので,明以前の秦や漢代には,印というものは玉や銅で印を作っていたようですが,明末から清にかけて(ちょうど宜興紫砂がもてはやされた文人趣味の時代)に,石に鉄筆(印刀)で文人自らが刻すための石が印石材なのです。

陳曼生といえば,われわれ急須趣味の人間にとっては神様のような存在ですが,実は一般的には,曼生は,篆刻家としての評価のほうが高かったりします。
印材として使われる石の種類


普通の石と違うことは,
@外見は宝石や玉のような輝きや力強さがある。
A表面にはしっとりしたなめらかさがある。
B柔硬両方の性質をもっている

という3つの特徴があります。つまり鉄筆で簡単に彫ることができるのに,その後のはんことしての使用に掛けることやすり減ることなく使えるという石であるということです。

印石材に求められる要件とは,以下のものがあり上記3種類の石はこれをクリアしていることから印石材ということになっています。

硬度が2〜3と柔らかいこと これより柔らかいと,掘った後すぐ崩れて使用できません。逆にこれより堅いと,一が掘れなくなり,機械を使って掘るようになります。
石質 石自体が純潔で長年愛玩ができる品位が無ければなりません。印石材は,柔らかい宝石ということで軟宝石とも呼ばれることもあります。
一般的には石自体が微透明か半透明のものが珍重されます。印材は,長年自分の書や,図書などに押して使うものですから,手で触ったときの触感も大切です
石色 実は印石材は,こんなものが自然界にあるのかというくらい多彩な色のバリエーションがあります。色の純粋さで上品,下品が決まるほどです。
光沢 宜興紫砂もそうですが,良く焼けているものには,焼き上がった状態で何ともいえない光沢があります。印材も光沢がなければいけません。品質の良くない石は,いくら磨いてもすぐ艶が無くなってしまいます。これは紫砂と同じです。上質のものは,なにもしなくてもしっとりとした光沢があります。
力強さ これも茶壺と同じで,総合的に力強い印材が良いものとされます。茶壺でも大きさに関係なく力がある茶壺は,存在感があるのと同じです。
印材の遊び方
印材のあそびかたというのは,大きく3〜4つくらいあります。

 一つは,上記で述べたように良い印材を蒐集して愛玩すること。特に目で見るだけでなく,手択(しゅたく)といって,掌中でなでて育てるという遊び方があります。明くらいの古印材だと歴代の持ち主の手沢によって,角が無くなったり,紐の獅子の細かい部分が摩耗してしまっているものさえあります。

また,印面を押して和綴本にした,印譜というものもコレクションの対象になります。特に,明清の原件から押した印譜は非常に高価なものです。

 二つめには,ハンコの(ちゅう:もちて)の刻紐とよばれる彫刻の美しさを鑑賞する。印材の紐(つまみ)は着いているものと無いものがありますが,印材の良いものには,立派な獅子などの彫刻や,またつまみだけでなく印材の表面に薄意という彫刻を施したものもあります。当然歴代名家の彫ったものは,収蔵的にも価値があるのですが,代々紐の作家は銘を入れないということもあり,蒐集は難しいものになります。最近は,銘が入るようです。

 3つめは,彫られた印面自体を自分で彫ったり,鑑賞すること。あるいは,自分で刻字するという楽しみもあります。また,押した印面を本にして,鑑賞するという遊びもあります。一般的に,印に彫る字は漢字を使うのですが楷書とか草書,行書などはかなり少なくほとんど使いません。印面に刻するのは篆書と呼ばれる古代文字です。篆書というのは,一般的には秦の始皇帝が国家統一の際に字の統一も行ったという,中国では,最初の統一文字です。金文や甲骨文字などそれ以前のものも使いますが,小篆とよばれる始皇帝が制定した文字を基本に使います。なぜか他の書体ではしっくり来ません。今の日本のお札にも,ハンコがおしてあってそれは篆書で印字されています。手に入れた印面の字を判読するというのも楽しみの一つです。



印紐(つまみの彫刻の鑑賞)

薄意(材の模様にあわせて薄彫りを入れる)

印面自体を書として鑑賞する。
自分で刻して遊ぶ
印材の産地
印石材は,ではどこで生産されどのような工程で市場に出るのでしょうか。石なんてどこにでもあると思われますが,そのほとんどが中国にしかないという不思議があります。タイやミャンマーあたり,韓国などでも一部取れるようですが,良い印材というのは中国でしか取れません。中国全土で取れますが,これがまたなぜか,良い印材というのは福建省と,浙江省でしかとれません。ウーロン茶の上質なものがとれるところとかぶっているのは,単なる偶然なのかどうなのか分かりません。

なかでも福建省で通常寿山(じゅざん)と言われる一帯で取れるものは,印材の最高峰とされています。あとは,浙江省の昌化温州の近くの青田という三カ所に集約されます。ただ,紫砂と同様とっくに掘り尽くされて,現在はまったく良材は取れません。かわりに,内モンゴルの巴林(ぱりん)というところが,最近良質のものを産出していますが,これも枯れ始めていて,今市場にでている印材は?な産地のものがほとんどです。従って,印材も良いものを集めようとしたら宜興紫砂と同様,古印材しかありません。それにしても,印材というのはどうしてここまで,茶壺と似ているんでしょうか・・・
当然ながら紫砂と同様,偽物のたぐいも掃いて捨てるほどあります。
印材三宝

田黄

鶏血

芙蓉
(個人的にはかなりのお気に入りです)
印石三宝

次の3種類の印材を印石三宝といって,頂点に立つものです。

@田黄(でんおう)
福建省寿山郷の畑からかつて出てきた印材で,印材中の王様。現在はもうほとんど採掘されない。オークションでは数千万の値がつくほど。
格(紅筋)があること,蘿蔔紋(大根の切り口にでるような紋が入っていること),石皮(表面に別の色の皮がついていることが基本。現在手に入るものは,ほぼすべて贋物。

A鶏血(けいけつ)
昌化県というところでとれる鶏の血の色をした石。これももうほとんど贋物。赤は朱砂とよばれる硫化水銀なので,扱いは慎重にして,あまり手択をしたり,直射日光にあてると,血の色がくすんでしまうものです。現在本物といわれているものも,内蒙古の巴林という場所からとれているものがほとんど。

B芙蓉
寿山の我眉山,芙蓉山,加良山あたりからかつて産出された石。現在は,カオリン(磁土)をとる採掘場からとれています。白色微透明のものが多く出ています。かなり安価に大量に出ています。