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故宮コード


故宮コードについてのお話をすこし。

故宮はご承知のように,現在,台北,北京,瀋陽の三カ所に存在しています。

故宮に収蔵されている美術工芸品は一般に文物といわれます。文物というのは中国では「文化財」を指す言い方で,故宮にある歴史上各時代の芸術品、工芸美術品を文物と呼びます。

台北の故宮博物院を訪れたことのある方は多いと思いますが,中には図録を買われた方も少なくないと思います。その際に図録に番号が書かれているのにお気づきでしょうか。


たとえば,呂補十六之1/故瓷14029/院35箱



という具合です。これが故宮ID(故宮コード)なるものです。これは台北故宮博物院収蔵品をユニークに識別する背番号で、「台北故宮博物院システム」のデータベース検索キーともなっています。このデータベースは現時点で一般には公開されていません。開発中の「デジタル故宮」が始まるまで待たなければいけません。

しかしながら

これが読めるのと読めないのとでは,鑑賞や図録の楽しみがだいぶ変わってきます。

なお今回のコードは台北故宮についての話で、北京故宮は別の識別子が使われています。


台北故宮博物院の構成

現在台北故宮の92%の収蔵品が,清宮から引き継がれた文物です。これは紫禁城あとに設立された現在の北京故宮博物院の117万件の収蔵品から、日中戦争やその後の内戦から戦禍をのがれるために1万3千件を選りすぐって南遷(疎開)し、さらにそこから1/4を最終的に台湾に移動した清宮由来の文物です。残りは北京に戻ったものと、現在の南京博物院におかれたままになっているものから構成されています。


文物疎開ルート:故宮博物院物語より

 


現在の台北故宮博物院

 

 

清朝由来の文物といっても多岐にわたり,五つのカテゴリーから成り立っています。

第一:清宮歴代皇室が継承されてきた文物で,これは,宗の徽宗皇帝のコレクションがベースになっています。

第二:清朝期に献上された物品や,歴代皇帝南巡の際献上された(させた)江南の珍蔵書画など。その他,蔵書や,没収図書など。

第三:官窯や清宮内で制作されたもの。特に乾隆時の紫禁城内工房で製作されたものがこれに含まれます。第四:清宮で編纂した書籍のたぐい。

第五:清朝の政治経済の関連文書などです。その他,絨毯,玩具,薬剤,家具,衣装,楽器

から構成されます。

これら清朝由来の文物以外に,中央博物院の文物中央研究所管理だった殷墟いんきょ:中華人民共和国河南省安陽市に位置する古代中国殷王朝(BC1600 - BC1046)後期の遺構),北京図書館の図書博物院ができてからの買い上げ収集品現代美術が現在の台北故宮の収蔵品の構成です。

 

故宮コードとはこの台北故宮収蔵博物院の文物につけられたユニークな識別子であり,これを読むと文物のトレースが可能なものなのです。台北と北京とでは現在,博物院自体が識別子として使う故宮コード体系は別のものになっています。しかし設立時の清宮でふられた最初のこの一つ目のIDは当然ながらおなじものでした。

 

故宮コードサマリー

最初のIDは,溥儀が立ち退いたあと清宮善後委員会によって整理された際に発番されました。これは文物が溥儀から引き渡されたあと、どの宮殿に置かれていたかを示すもので,建物に千字文の一つの漢字をコードにして区分しました。その建物の中は,配置されていたロケーション別に右側からふったものです。

たとえば,呂補十六之1/故瓷14029/院35箱。この例の呂は養心殿を示すもので,この文物が清宮引き継ぎ時養心殿にあったということがわかります。

二つ目呂補十六之1/故瓷14029/院35箱は,現在の台北故宮博物院の識別コードで,現在の収蔵品の由来(北京故宮からの引き継ぎ,中央博物院からの引き継ぎ,購入,寄贈)などを頭文字にとったシリアル番号です。

三つめ呂補十六之1/故瓷14029/院35箱は,文物南遷の際,上海で棚卸しをした際にふったもので,濾(古物館),士(図書館),寓(文献館),公(秘書所)別にふった,箱の番号と故宮博物院としての箱のシリアル番号の二段構成になります。現在箱は新しくなってもこの番号識別子は普遍となっています。

これらから何がわかるかというと,当時の故宮博物院が評価した文物のランク,それから,トレーサビリティ。つまりこの文物がもともとどういういわれで故宮に収蔵されたか,など様々な情報がわかるようになっています。故宮コードは,大きくスラッシュに区切られて3つの部分から成り立っています。

 

最初の故宮コード(詳細

呂補十六之1/故瓷14029/院35箱

通常図録などの左に書かれるこのコードは故宮コードの中で最も重要なものです。
このコードは最初に故宮博物院ができたときのコードで、いまでも使われています。
このコードは、文物が清宮から引き継がれ故宮博物院が設立されたときに採番されたものです。

故宮博物院は、1924年に溥儀を紫禁城宮殿から立ち退かせ,半ば廃墟のようになっていた宮内を整理、1925年10月10日に一般公開しました。1925年当時の所蔵品総数は117万件超、故宮博物院は古物館図書館文献館,秘書所というように分けて各種文物の整理を始めました。
清朝崩壊後も溥儀一族の住居として使われていた故宮博物院は、貴族、宦官たちの持ち出し転売に加え溥儀自身が紫禁城文物を売りさばいて生活をしていました。文物のこれ以上の流出を防ぐために文物の整理分類を行った際にこの最初の故宮コードが振られました。

それ以前、清朝崩壊前後に連合国によって略奪された莫大な量の流出清宮文物を含め,日本の山中商会など骨董商を介して今世界の名だたる博物館の中国コーナーを飾っているわけです。清宮文物の流出についてはまた別の機会にご紹介します。


 
北京故宮博物院 現在

さて最初の故宮コードの採番のいきさつをご紹介します。
民国政府は故宮博物院の準備段階として,故宮維持会を経て,故宮博物院開設の前年1924年に清室善後委員会設立しました。

ここで溥儀から引き渡された膨大な清宮の文物整理を行うことが始められました。この時点で清宮内部は相当ひどい状況で,清朝末期の財政不足から清宮は荒れ放題。内庭宮殿の屋根には雑草が生え放題。壊れた所もそのまま廃墟のような状態で,旧宮廷の人たちが細々と住んでいました。加えて清朝文物はもうすでに相当に流出しており,これ以上の流出を防ぐためと,現在の保存状況を把握するのが目的でした。貴族,宦官達は理由をつけて文物を紫禁城から持ち出し,処分していました。

文物の整理は,まず溥儀の私物(固有財産)とそれ以外を仕分けることから始まりました。溥儀の私物をのぞいた物品は,次に文物(文化財)とそれ以外に分けることになります。文化財以外というのは故宮に保管されていた金銀,茶葉(碧螺春が主),織物の類を指し,これらは博物館が整理保管するようなものでは無いので,多くは競売にかけ処分され博物館の運営資金としました。

 


当時(草が生え放題)

清朝崩壊直後の紫禁城(荒れています):東博図録より

残ったものは文化財であり,故宮博物院が管理すべき文物になります。管理の最初は管理対象に個別ユニークな識別子をふることから始めました。とにかく,母数も,流出数もわかっておらず,乾隆没後封印されていたはずの文物貯蔵庫があけたら空だったりと,大変な状況だったようです。そのため委員会は現状維持につとめ,文物自体を移動して整理することもできないため,文物の置かれていた状況そのままで識別子をふったのです。具体的には建屋別に千字文コードを使って個品IDをつけました。千字文(せんじもん)というのは、子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩で1,000の異なった文字が使われています。(Wikipedia)

 



調査の様子:故宮七十星霜より

具体的なコード体系は1桁目に建物のロケーションを漢字ひと文字で,千字文の順にカテゴライズします。そのあとは漢数字で建物入り口から(右という説と左からという説がある)順にシリアル番号を箱やおいた状態で振ります。その後箱の中身にはアラビア数字で連枝番号を振るという体系です。その後,新たに発見されたものや,見落としていたものは,漢字2桁目に補の字が使われます。中国では宋以前からこの分類方法を使っていたそうです。

 

左側の故宮コードの体系その1


 

故宮博物院依《干字文》コードと対応する宮殿名

干字文コード

宮殿名称

干字文コード

宮殿名称

乾清宮

坤寧宮

南書房

上書房

端凝殿

薬王殿

懸勤殿

交奉殿

昭仁殿

弘徳殿

盈(えい)

奉事所

昃(しょく)

内務府当案

坤寧宮東暖殿,東配殿,交奉殿東屋等

宿

坤寧宮西暖殿,西配殿,太医南等所

端凝殿左右各屋及小庫

奉震院

坤寧門左右各屋

夾(きょう)

降雲軒,萬春亭

 

清理房屋租摺

キ禺藻堂

欽安殿,四神祠

延軍閣,位育斎,千秋亭,澄瑞苧冬

養性斎

景仁宮

承乾宮

惇本殿,統慶宮

斎宮,誠粛殿

永和宮

景陽宮

重華宮,養心殿,華滋堂,燕旧堂,体順堂等

調

鍾粋宮

玄穹(きゅう)宝殿

如意館,寿薬房

暖(いとへん)庫

茶庫

重華宮

敬事房

建福宮,撫辰殿,延慶殿

成福宮

翔坤宮,儲秀宮

永寿宮

四執庫

古董房

太極殿

雨宿閣

寿康宮 東酉配

南庫

奉先殿

集寿堂

寧寿宮

養性殿

闕(けつ)

寿安宮

皇極殿正殿,酉応及南庵

慈寧宮

頤和軒

英華殿

慈寧宮花園

景福宮,梵華棲,仏曰楼,景棋閣

符望閣,倦勤斎

内務府

遂初堂,三友軒,延趣棲,翠賞棲,抑斎

文淵閣

造弁所

怐iとう)

 

皮庫,瓷庫,衣庫,城隍廟,槍砲慮,油漆作,作書所,西沿河一帯

南三所,西所,西小屋

鹹(かん)

寿皇殿

九龍壁,十三排

玉梓軒

慈寧宮東跨院

敬事房後院

御薬房,太医院,上駟(し)院,上档房

閲(えつ)是棲

南庫大門

皇極殿東蕉(しょう)

(此字末用)

 

登記各所発現物品

南花園盆庫大高殿

皇史成(うかんむり)

貫録庫西庫

貫録庫東庫

変輿衛

簾子庫

太廟

;

清堂子

 

その中で重要なものは「」。呂は養心殿に振られたコード。養心殿は,乾隆帝ら歴代の皇帝の寝室で,「三希堂」もここにありました。そのほかのふられた文物も貴重なものが多くあります。つまりここの一文字が文物のそもそも置かれていた元のロケーションを表しており,これは言い換えれば清朝時代の文物の価値を表した重要なものであります。



養心殿:東博図録より
文物は向かって右から採番していった


文物はID発番後,現品にラベルを貼り,これを台帳化しました。台帳には,品名の登録,写票(現品のスケッチ),現品へのラベル貼り,重要なものは写真を撮って台帳化するという作業でした。これらの作業の最中にも持ち出しなど不正をごまかすための不審火発生や,宮廷関係者の反目などもあり,のべ五年にわたったそうです。ただし,この台帳の品名は,調査したチームや担当のスキルによってまちまちで,同じものでも違う呼び名で書かれたりしました。特に青銅器などの祭器などは不一致が多かったようです。

故宮の展示や図録では,まずこの最初の左側の故宮コードを読み解くのがポイントとなります。

 


故宮博物院オープニング:故宮七十星霜より

故宮博物院の保管管理ポリシー

 台帳整理後収蔵品は現品ラベルをつけられてから新しく整理分類されました。

 ○格納ロケーション
  乾清宮や養心殿など当時の宮廷の儀式や生活が理解しやすいところは,移動せずそのままの場所に保管管理する。


それ以外は,古物,図書,文献に分けて倉庫に保管する。


古物のうち,最も多かったのが陶磁器で,その整理保管場所は、次の通りでした。

端擬(にずい)宮には,古月軒
中国清朝の雍正(1723年―1735年),乾隆(17351795年)ごろに景徳鎮の官窯で焼かれた最も精美色絵磁器成形,彩画ともにきわめて精巧で,小品に限られている。From コトバンク)と洋瓷(古月軒と同じ放浪彩ですがデザインが西洋風のもの)を集中管理する。
寿安宮には宋時代の陶磁器。景陽宮には元明の陶磁器3,400件,景棋宮には同じく元,明の陶磁器3,700件。これらは,タンス状の棚に整理されていたようです。寧寿宮,皇極殿には清朝の瓷器が納められ,これらは梱包も解かれず,運ばれてきたままの官窯が10万点以上あったそうです。

○故宮管理の一般ルール

基本的にすべての文物は故宮博物院外へ持ち出してはならない。

倉庫に入るには厳格な手続きが必要。

倉庫に入るときは最低でも二人以上。

倉庫の鍵は,集中管理する。

私人としての写真撮影,拓本のたぐいは不可。


という厳格な規定になっていてこれは基本的に現在の故宮博物院でもルールとして継承されています。

 

 中央博物院の文物

 1914年に民国内務部は,紫禁城南側の外廷に紫禁城文物以外の文物を収蔵するため「古物陳列所」を設置します。陳列所には、清王朝歴代の離宮だった熱河(承徳)の避暑山荘と、清朝発祥の地・奉天(瀋陽)の故宮文物をメインに頤和園,静宣園の文物も集約し,公開しました。この文物をベースにれに,1913年に設立された歴史博物館の文物,および購入した青銅器等を加え,1933年に南京に集約し国立中央博物院を設立しました。北京紫禁城文物とこの中央博物院文物が現在の台北故宮博物院収蔵品の核となっています。





南京博物院(敷地内に中央博物院の碑があります。)

中央博物院の識別子

中央博物院は,自然館,人文館,工芸館の構成からなっており,ここの文物は識別子にローマ字二文字を使っています。人文館はJWから始まるコードです。このコードは識別子ローマ字二文字のあとがシリアル番号その後ろにハイフンと収蔵年が入ります。JW−1845−38という具合です。その後,台湾で購入したり,コードが採番されていなかったものはTから始まる番号がつきます。

故宮博物院と国立中央博物院は1965年に合併し現在の台北故宮博物院となっています。

左側の故宮コードの体系その2




よって故宮コードの左側にはこの2種類のコード体系のものがあるわけです。

二つ目(中央)の故宮コード二つ目の故宮コードは,現在の台北故宮博物院の収蔵物の由来を示す中央のコードです。

 

呂補十六之1/故瓷14029/院35箱

 

の中央「故瓷XXXXXXXX」にあたる部分です。

これは,現在の台北故宮の識別子で,3つの中ではもっともupdateされた識別子になります。




最初の一文字は,台北故宮にどのような,いきさつで収蔵されたかを示すものです。文字は次の四文字

北平故宮博物院から引き継がれた文物

中央博物院から引き継がれた文物

国贈といって,日本をはじめとしていったん清旧をはなれた文物が返還されたり,コレクターなどから寄贈されたものにつくIDです。

これは台購といって,台湾故宮博物院が買い戻した文物で,有名なものに蘇軾の寒食帳があります。

注)蘇軾( しょく、景祐31219103618 - 建中靖国元年7281101824))は中国北宋代の政治家詩人書家。東坡居士としたので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる『黄州寒食詩巻』(こうしゅうかんじきしかん、『寒食帖』(かんじきじょう)とも)は、元豊5年(1082年)47歳のとき、自詠の詩2首を書いた快心の作で、この2首は何れも元豊5年春、寒食節(清明節の前日)を迎えたときの詩である。縦33cm澄心堂紙行書17行に書いたもので、「年」・「中」・「葦」・「帋」の字の収筆を長くして変化を出している(wikiより)

 

二文字目は,文物のカテゴリーを表すものです。

銅:銅器

瓷:陶磁器

玉:玉製品

漆:漆芸作品

琺:琺瑯

書:書

畫:図,絵画

善:善本図書

殿:紫禁城武英殿本図書

仏:仏教関連

文:文具

織:織物

彫:彫刻,竹根のたぐい

繍:刺繍

雑:その他雑器

 

 

その後にシリアル番号がふられます。 

 

三つ目の故宮コード

呂補十六之1/故瓷14029院35箱


三つ目の故宮コードは,台北故宮博物院の保管箱のシリアル番号を示す右側のコードです。文物南遷の際,上海で棚卸しをした際にふったもので,濾(古物館),士(図書館),寓(文献館),公(秘書所)別にふった,箱の番号と故宮博物院としての箱のシリアル番号の二段構成になります。現在も当時の箱が使われており、新しくなったものもこの番号識別子は普遍となっています。



ただし故宮文物は何回か梱包されておりこの院シリアル番号がどのときのものか、現時点で資料がみあたりません。この番号について故宮で尋ねたのですが、相手が学芸員ではないのでわかりませんでした。南遷の際の梱包番号(下段)をベースに、大陸から台北に運ばれたとき、訪米、訪欧時、台中での整理、台北に来てからの整理の番号のどれかかと思われます。最近の図録ではあまり表記が見られません。故宮文物の棚卸しと目録作りは故宮博物院の使命ともいわれ、台北故宮設立後も何度か行われています。

 



故宮保管箱のシリアル番号(ナショナルジオグラフィックより)
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