紫砂器をコレクションする楽しみの一つは,作者の款識(落款)があることだと思います。落款とは,壺の底等に字を刻むか印を押すもので,紫砂器は特に景徳鎮の官窯などのような年款(製作年代を入れたもの)でなく,作者個人の名前や字(号)が入っていることです。

 景徳鎮の磁器は昔から,分業による流れ作業で製作していたのに対し,宜興紫砂は,土の配合から装飾までほとんど作家個人が行うため,作者銘があるのです。この作者の名款があるために,そのコレクション的な価値を増していると思います。無冠のものや,晩清の輸出ものに多い,「宜興紫砂」款がありましたが,文革時に個人名を入れず番号で表わすようになり,文革後も80年末くらいまでは単に「中国宜興」款だけになったことがあります。これを,香港の大コレクター羅奇祥先生が提案して再び作家の名款が入るようになったのだそうです。

「中国宜興」のままでしたら,現代の作家ものというカテゴリは存在せず,コレクターもこれほど増えてはこなかったのではないでしょうか。ただし,落款は真贋の判定には使えても決定的なものではありません。つまり,落款は本物である証拠にはなりません。

落款の時代的特徴
 最初に名鑑を入れたのは,明代の大家,「時大彬」であるといわれています。彼は,楷書で名前を入れています。

 明代の作家壺は,楷書で名前を入れているのが普通です。当時,宜興の陶工はそれほど字の書ける人間は多くなく,壺を作り焼く前に,識者のところで自分の名を墨書きしてもらい,それを彫ってから焼いていたそうです。しかし,これでは茶壺の生産量に対して非効率であるで,だんだんと,印を押す印款になっていったようです。

 落款には,いわゆる釘彫りと呼ばれるボールペン上のもので名前を彫るもの。竹刀で,あたかも書のように太細をつけたもの。それから,鈴印というように大別されます。

 また,落款の打ち方にも時代的な特徴があります。これらから,落款を見て壺の時代をある程度判定することができるのですが,宜興紫砂壺は,非常に偽物や倣古壺が多く,恵孟臣などは,すでに清朝中期から倣古が出ていますので,文字面どおりに信じることはできません。
最近は名家の落款の判定方法などが,専門書にずいぶんとでるようになりました。
落款の鑑賞
 茶壺を鑑賞する切り口は,道具としての実用性や機能美(姿・形)以外に,様々な飾りや刻印などさまざまありますが,落款自体も十分金石的な鑑賞が出来ます。

銘壺と呼ばれるものの款はそれだけでも鑑賞の対象となります。




氷心道人(程壽珍)の落款

落款の種類
方印款
四角い印款を方款といいます。字が浮き出ているものを陽文。逆にへこんでいるものを陰文と呼びます。
清徳堂 花款 荊渓江案卿制 王寅春 萬豊順記 王南林
印款
范永良(現代) 斐石民 王寅春(蓋款)
  
刻款
竹や金属の刀で直接字を刻みます。
明から清初期には多く見られました。時大彬や恵孟臣らが代表です。

二泉(倣) 羅紫倫 呉堅材(台湾)
落款の種類
名款
(名前が入ったもの)
名前の入った落款はいくつかあります。一番多いのは当然作者の名前。次に多いのは「恵孟臣」などいわゆる大家の名前をブランドとして入れるもの。また,監製といって,指導者の名が同時に入るものがあります。さらには,訂倣といって注文生産したものには,依頼人の名前や,贈る人の名前が入ったりします。

姓+名+制 清〜民国にかけて最もよく見られる形式。姓と名を分けるパターンもあります。恵の円款と孟臣の方款があるなど 邵景南制
姓+名 名前のみの款 時大彬
名+制 姓をつけない。一般的には印でなく刻款。 孟臣制
名のみ 名前のみ 彭年
字(号) 姓名でなく,号のみを入れる 壺痴
地名+姓名+制 荊渓(宜興の旧名)+姓名+制 荊渓邵柏原制
姓のみ
無款 まったく字款が入らないもの。時代が古めの普及品に多い。(無款だから古いとはいえません)
水平 工夫茶用の茶壺の蓋裏に入っていることがあります。これは水平壺であるということで,このまま水に浮かべても傾かないという意味です。
会社名 会社名や屋号(記)が入るもので基本的には民国初期の茶壺販売会社のものが多くあります。
豫豊 豫豊は,清朝末期から民国にかけて天津で開業した茶壺店の名前。マーケットが北京など北方であったため,漢字と満州文字が入ります。 鐵画軒 鉄画軒は,載国宝が民国始めに上海に作った会社の落款。鉄画軒自体は現在も預園で土産物屋として営業を続けています。初期には「載氏」という款のものがあります。
荊渓同記 陳鼎和 陳元明という宜興人が上海に開いた会社の名前。または,「陳鼎和陶器廠」「C.T.HCo」の入るものもあります。
荊渓楊記 呉徳盛・金鼎商標 民国5年から28年まで宜興にあった,陶瓷会社。店主は呉漢文
荊渓大彬福記 利用公司・利永公司 民国4年設立の会社名。数年後に上海預園にも開店。民国20年以降は,「盛協」「良友商標」の落款も使用。
萬豊順記 明から清末まで,主として日本からの訂倣品(注文生産品)に入れられた落款であるといわれています。 葛徳和
萬豊隆記 平定陶業
胡興隆 王寅春,顧景舟らが設立した工房の款 威海衛同慶順造 清末民初に山東威海という人が宜興にオーダーしたものに入った落款。
貢局 この落款は,以前は清初からのタイ向けの輸出品に入れられた落款といわれていましたが,最近は民国の趙松亭が用いた款であるというのが定説になっています。    

記款 記というのは,店の屋号のようなもの,で通常把の下か蓋裏に打たれます。
香記 福記
真記 程壽珍の壺の把手に入っています。 王記
徐記 徳記
郭記 陳鼎和
年款 明清の古壺および,民国の倣古壺に見られる。「乾隆十三年制」,「大清乾隆年制」など。文字の数は決まっています。宜興窯の場合あまり多くないようです。景徳鎮の倣古のように,清朝のころから現代までずっと「大明成化年製」款が入っているという状況ではないようです。
干支款 これも結構ある款で,現在の台湾壺や,現代作家ものの壺には入っています。甲辰とか戌亥といった製作年が入るものです。これは,一定年ごとに繰り返しますので,同じ甲辰でも作者と絡めて,製作年代を特定できます。
但し,これも倣古の場合は,制作年とは無関係です。
斉・堂・室款 文人趣味でこのような款が多くあります。

堂号 制作者 所属者
大宇堂 時大彬(倣)
寒緑堂 明代彭年が使用
清徳堂・春水堂 邵旭茂ら 光緒のある工房で使用された款で,工房の主人は不明。
最近贋作が多い
万松園 馮彩霞 清,伍元華
伍氏听涛山館 馮彩霞 清,伍元華
碧荷香館 馮彩霞
[客+心]斉 黄玉麟,愈国良,余生 清朝末期の金石書法家呉大徴が用いた。光緒21年から27年
有味無味斉 清,鎮曼生
阿曼陀室 楊彭年 陳曼生が用いた。これ以外に,「曼陀館」「桑連理館」など数種
硯北斉 清,鎮曼生
文杏館 恵孟臣
天蘭閣 蒋伯 項墨林

宜興款・中国款 宜興款は民国と,中国建国後文革前までに良く使われていました。

陽羨 陽羨名壺 荊渓
蜀山 蜀山名壺 宜興
宜興紫砂 宜興紫砂名壺 宜興朱砂
中国宜興(80年代〜) made in china china

花款・龍款 花款に関しては,数年前に宜興で古文書が発見され明確になりました。それによれば,清光緒7年から16年までのものに限って当時の宜興の県令で茶壺に銘款や会社款を入れるのが禁止され,かわりに荷花,龍,天女などを入れていたようです。
数字款 陳曼生の壺にはシリアル番号が入っています。(最終番号は4614番)
また,文革時には数字の番号だけが入っているものがあります。
漢詩 「中山一杯小」「煙村四五家」など,また壺の腹にはさらにいろいろな漢詩が入ります。
外国文字 輸出向けの茶壺にタイ語(シャム語)や英語など輸出先の文字が入るもの。
紀事 注文者や友人に贈る場合などの,相手の名前や文句が入るもの。最近でも会社の設立記念等の款のあるものがときおりみられます。
壺名,工房名
最近は,名款と併せて,壺の名前が入っているものがあります。また,最近の作家ものは製作工房名が入るものがあります。,
落款を打つ位置
位置としては,壺の底,把手の下,蓋の内側,蓋の舌,胴体などがあります。