宜興の古龍窯跡(現在)
宜興紫砂は,当然ながら焼き物です。焼き物は炎の芸術といわれるように重要なのは焼成です。
古壺が良いという理由のひとつにはこの焼成があります。松で焼かれた清時代の紫砂には何ともいえないしっとりとした感じと透明感があります。また,中には生焼けであったり発色が不十分なものもみられますが茶道具として見た場合,景色や風格などを楽しめます。

一方現在の宜興紫砂に魅力を感じない一つの理由は,ガスや石油の窯になって,短時間でまんべんなく火が通り量産しやすくなった反面,道具の美という観点からはきれいに焼けすぎておもしろくないということがあります。工業製品として宜興紫砂をとらえる方達にとっては,品質が上がって良いことなのでしょうが,宜興紫砂を美術品という観点から見た場合,あるいは道具あそびの観点からは,まったく魅力のないものになっていることも事実で
す。
中国の窯には,石炭を使う饅頭窯や穴窯もありますが,一番の特徴は龍窯(登り窯)というものの存在です。龍窯は,文字通り斜面に龍が這うように作られた窯で,宜興にも立派な龍窯がありました。龍窯は,すでに唐代には作られており,一度に大量の焼成が可能なことから,世界各地からの需要に応えるため龍泉窯には全長70メートルを超える長さのものがあります。龍窯の中を火がまさに龍のように踊りながら上部に上っていきます。煙突の窯では火力の大部分が煙突から無駄に放出されるのに対し,龍窯は斜面に火を這わせることにより火力を効率よく使用します。 薪は,おもに火力が強く灰の舞いづらい松が使われ,最初下部の炊口から入れますが,以降はそれ以外にも窯の何カ所かの穴(鱗眼洞)から薪を入れます。この途中の穴から薪を入れるコントロールによって,火が龍のように上っていきます。
日本の陶芸家は今でも登り窯や薪窯にこだわっている作家が多くおられますが,公害の問題もあって,なかなか難しいようです。薪窯で焼いた磁器には表面に独特のざらつきあり,橘皮感として鑑賞のポイントにもなっています。

宜興は羊角山というところに,宋代から使っていた龍窯があり,青磁の残片が出土しています。羊角山龍窯は以降その上に何層も作り直されており,顧景舟大師が発掘した明時代の陶片はその3層くらいのところから出土したようで,最終的には,「建新窯」と呼ばれる龍窯が建てられました。清末,宜興にはこの建新窯を含め10基以上の龍窯があったそうです。龍窯の下部には日常雑器,中部には紫泥のもの。上部には朱泥のものを置きます。紫泥は1150度以上の火力でも耐えられますが,石黄泥の朱泥は,1050度前後が変色せず耐えられる限度ということで,窯の上部に置かれます。それでも朱泥には独特の縞模様が入るものも少なくありません。また,均等に火が回らなかったために,紫泥の一部分が朱泥になっていたり,窯変しているものも古壺の魅力といえるでしょう。1950年代には,松の薪から炭による焼成技術が導入され,熱効率が増したといわれています。


民国には,現在の窯の原型である倒炎窯が出来ています。龍窯が非常に大がかりで一度に大量の焼成が出来たのに対し,倒炎窯は作家ものなど少量で比較的簡単に焼成できるという特徴があります。1965年には現在も使われているガスを使いトンネルの中を移動させることで無停止で焼成が続けられるトンネル窯が出来ます。

龍窯

宜興の龍窯(当時):*

古壺独特の透明感のある雰囲気は土と焼成のマジック!
(香港茶具博物館)
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焼成前の紫砂壺
焼くと言うことはどういうことでしょう。
調整された土を板状にのばし,成形された紫砂壺は,表面を十分に叩いて作家の思うような仕上げを行った後,完全に乾燥させ,1100度前後の高音で焼成することで,土が焼き絞まり石のようになります。普通,陶土は1100度の高温にはたえられず,へたってしまいますが,宜興紫砂の場合は高温で焼きしめることであの磁器のように堅い胎土が作られます。焼成は4日から5日かけ,その後ゆっくりとさまされます。

磁器は一般的に釉薬をかけ焼成することで,その中の長石などが沸騰してガラス化し,水も空気も通さなくなります。紫砂は釉薬を掛けませんから焼いても,空気がとおります。これが気孔といわれている焼成の特徴です。紫砂が茶器や植木鉢として珍重されるのも,水は漏れないが空気は通すという紫砂の特徴にあります。汕頭の土は逆にそこまでの力が無いため,水分を吸ってしまいます。そのため,化粧土を掛けて補強を行っています。宜興の化粧土は土味を出すための装飾的な意味合いが多いのに対し,汕頭や初期常滑は補強の意味で化粧土を掛けています。

最近の常滑などは,朱色を出すベンガラと,ガラス成分の長石を大量に混ぜていますので,硬度は増し赤の発色もきれいですが,おそらく長石がガラス化し,あまり空気は通さないのではないかと思います。初期常滑は宜興と同じ鉄分で朱色を出しており,だいぶ違います。

宜興の作の善し悪しは,土味や器形のバランスなどで決まりますが,焼け具合も非常に重要なポイントです。清朝の良く焼けている紫砂壺は肌が石のようで,しかもしっとりとぬれた感じがあって,透明感もあります。清末には粗悪なものも多く,焼き上がりが煉瓦のようなものもあって艶がありません。土の問題もありますが,清末の宜興の戦乱が焼成にも影響しているものと思われます。民国時のものは,焼成がしっかりしているものと,生焼けに近いものが混じっており,玉石混淆という様相を呈しています。

民国,福記の朱泥壺には,よく灰が落ちた点のような釉涙があって独特の味になっています。現在作られている福記の偽物には焼成方法の違いから釉涙が全くないので逆に馬脚を現しています。
焼き物の焼成方法には大きく2種類あります。それは一酸化炭素と酸素の比率から区分したもので,酸素が多く入った炎を酸化炎,酸素が少ないものを還元炎といいます。宜興紫砂は基本的には酸化炎焼成ですが,明代,清代〜民国にかけての宜興龍窯は若干還元焼成気味だったといいます。紫砂自体は非常に鉄分の多い土ですので,酸素を十分入れた酸化焼成を行うことで,鉄が酸化鉄となり茶色から朱色に発色します。還元炎気味だと青っぽく,つまり紫に近くなります。紫砂は,陶土の割には非常に高温の焼成に耐えられ,焼成でへたって変形したり変色したりということはあまりありません。紫泥である甲泥を普通に焼くと栗の皮のような焦げ茶から紫に近い色になります。いわゆる古鉄色といわれるものです。

宜興はもともと鈞窯や哥窯系の青磁を焼いていた窯ですから,酸化炎と還元炎の使い分けによって色を調整する技術は,以前から持っており完成されたものであったようです。釉薬を掛けない紫砂器に,土の調合によって胎に五色の色を出すという発想も,宜興青磁を焼成する中から生まれたものです。


また,宜興紫砂の基礎を築いた時大彬や李茂林が焼成の際に匣鉢(さや)を使うようになります。匣鉢は,焼成前の作品を入れるケーキの型のようなもので,匣に入れて焼成することで,灰などがついてできる釉涙(点のような釉薬)や作品どうしのひっつきや窯傷などがの着くのを防いでいます。


欽窯系の釉薬を掛けたものは,宜興本来?の姿
(北京故宮博物院)

しっとりとぬれているような質感の乾隆時代の茶壺
(北京故宮博物院)

*は,宜興紫砂全書より転載させていただきました。