■汝窯(じょよう)と鈞窯(きんよう) | ||
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ずっと行ってみたかった汝窯と鈞窯に行って来ました。窯の場所は,少林寺や洛陽などで有名な河南省です。ここは歴史のある町だけに,遺跡や文物の出土がかなり多く,「河南省文物地図」という電話帳のような地図帳まであります。ガイドさんが持っていて,本屋で探したのですがありませんでした。)窯跡も汝窯鈞窯だけでなく,200以上もあります。 汝窯も鈞窯も今から900年ほど前の北宋末期に御用窯だったところです。今では汝窯は全世界に100個弱。鈞窯も官窯のものは200個しか残っていません。汝窯にいたっては日本には,たった2個しかありません。 汝窯は天青(てんせい:スカイブルー)という名前の青い釉薬がかかっておりこれが「雨過天青」(うかてんせい:雨上がりのしめった空の青色)の青といわれ,えもいえず美しいものです。特徴としては,皇帝の食器が主であったため非常に軽く,底まですべて釉をかけてあります。釉薬には瑪瑙(めのう)を粉にして入れてあるそうです。 河南省の鄭州から片道200km以上の道のり。クリスマスから5日間降り続いた雪が残る朝早く,青磁巡りのイベントを始めました。 |
鄭州から汝窯までは約200km
鄭州文物研究所へ | |||||||||
まずとっかかりは,市内の鄭州市文物研究所というところでレクチャーを受けました。事前に河南省文物管理局から「特別参観許可」というのをいただいて特別に見学せていただきました。陶磁器の展示室は,河南省全土から採集した磁片が,出土した窯別にきれいに整理されて展示されています。汝窯のサンプルも多数あり,あの雨過天青のカケラがさりげなく展示されている。また,汝窯は民間向けのものも制作しており,民窯のものは一見窯州窯・磁州窯ふうのものなども多くありました。汝窯の窯具もあって万釉のため,底に3つか5つの円錐で窯にくっついてしまうのを防いだ「支柱」(しちゅう)という窯具もあります。 日本でもちょっと話題になった道路工事の話を伺いました。河南省ではここ数年道路整備を積極的に行っており,その際に遺物が出ることが多くあるとのこと。昨年は,ある場所の道路工事で近くの池をさらったら中から唐三彩の完品がごっそりとでてきて,これは昨年の河南省文物界一番の出来事だったとのことでした。 小一時間見学の後,次の目的地鈞窯へ。きれいに整備された道路を1時間半ほどで到着。こういった道路が今かなり整備されており,今伺ったばかりの道路工事の話を思い出して,歴史のある場所だけにこれからも新たな発見がかなりありそうだなと思います。移動中も窓外にXX時代の何とかの跡というのがいくつも出てきて,すごいすごいとただびっくりしていました。 |
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八卦洞鈞官窯跡 | |||||||||
一時間ほどで,欽窯跡のある兎州市へ到着しました。兎州は,今でも窯業がさかんです。窯跡は今は鈞官窯博物館という立派な建物になっています。 年も押し迫った冬の寒空に窯跡など見に来る酔狂な人が他にいるわけもなく,当然のように貸し切り状態。窯跡も建物で囲ってあり施錠。よく写真にでるまんじゅう窯の2つの焚き口あとがガラスで囲われていました。写真は駄目。しかし,窯跡の写真がなぜ駄目なのかわかりません!(だいたい地方のこういった施設ほど,きびしく中央の博物館は得てして写真okのところが多いです。 そのあと資料館で,鈞官窯の鈞磁片や窯の再現模型などを見学。景徳鎮もそうなのですが,官窯の窯元には完品の伝世品というものは基本的にありません。ここにも,官窯の破片が数点あるだけで,景徳鎮のようなジグゾーパズル形式のものもありませんでした。 鈞官窯は徽宋皇帝の趣味であったガーデニングのための専用窯で,年間36個(セット)の植木鉢と,水盤。あとは尊などしか作っておらず,皿や碗などはいっさい作っていませんでした。食器は定窯や汝窯〜後には北宋官窯で作らせていたわけです。 鈞窯の皿や碗などは,その後の金や元以降に近くの他の窯で制作されたもので,兎州市内を中心にたくさんの窯跡があるそうです。宋代の欽窯は,元のころのような,意図的な紫の窯変があるものはありません。すべてが,霧が流れるような独特の仕上がりになっています。欽窯は,鉄と銅,その他の釉薬を焼成の温度調整によって偶然でてくる効果なのです。これを窯変(ようへん)といいます。欽窯は,最初酸化炎で十分酸素を入れて800度くらいまで焼き,その後酸素を絶って還元炎で1300度くらいまで焼きます。これにより銅や鉄が発色。釉薬の珪酸が沸騰して霧のような模様が生まれます。特徴としては,蚯蚓走泥紋(きゅういんそうでいもん)と呼ぶ,模様が入ること。(これは釉薬が沸騰した際に粘りけのため,いったん裂け,そこに再度解けた釉が入り込んでできるものです。また,焼成温度と冷却のしかたで,橘皮(きっぴ)と呼ぶ,蜜柑の皮のつぶつぶのような感じになるものもあります。また,宋の官窯手には底に1から10までの数字が入っており,サイズを表します。植木鉢と水盤の番号をあわせてセットになるのです。また植木鉢の穴は必ず5つあいています。 資料館のあとは鈞磁研究所制作の新しい鈞窯を見学。これは,展示館というより売店。説明してくれた人が熱心に「これは窯変で和尚さんの姿が出た」とか,「山水画になっている」とか話してくれるのですが,残念ながらまったく響いてきません。景徳鎮も,龍泉窯もレプリカはかなりの水準であるのに対して,鈞磁はかなり駄目な感じ。最近日本市場に出ている鈞窯の偽物は台湾製のほうが出来が良いようでした。霧のような窯変も再現できていなければ,蚯蚓走泥紋もありません。ほとんどはクリーム色の胎に,品のない赤と原色に近い青がまだらに入ったもの。結局,おみやげとしても買う気にならず,本だけを2冊買って引き上げる。 昼食後,兎州一の窯業区である へ。ここでは,レプリカを作っている工場を見学。一つの工場で,鈞窯だけでなく磁州窯,汝窯,建窯まで作っている。磁土もそのため何種類も用意してある。こういったところで出来たコピー品に薬品などで古色をつけて日本等のマーケットに来るのかなどと妙に感心してしまいました。作品はすべて石膏の型出し。鈞窯系は鶯歌など台湾製のほうがまだ良くできている感じです。 |
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汝窯 | |||||||||
いよいよ汝窯へ 地図上では近道があるのだが,でこぼこで駄目ということで,今来た道をもどり,豊宝県へ。20分くらいかなとおもったら,2時間近くかかり,清涼寺村に着いたときは日没寸前。清涼寺汝磁研究所をやっと見つけ見学させてもらったのですが,なんとも廃墟のような感じ。20年前につくられ最近はあまり訪れる人もない感じ。おみやげの汝窯を一個買い,遺跡は?と尋ねたら,案内してくれるとのこと。5分くらい村を走って案内してくれたのが建物が密集しているところ。てっきり磁片が出たことで有名なトウモロコシ畑かと思っていたのでちょっとびっくり。するとそこは窯跡だという。不勉強で汝窯の窯跡が発見されたということを知らなかったので期待! ただ,解放していないということで,見せてくれない。連れて行ってくれたガイドの牛さんが河南省文物局の許可証とか,文物研究所の 所長の名刺とかをみせてやっと説明してもらうことになりました。とりあえずラッキー! 大きさは,南宋官窯博物館の遺跡と同じくらいで小学校の体育館くらい。中には,ベッドが4〜5台おいてあって,24時間体制で番をしているとのこと。入って右側に扇形に窯が4〜5個。その後ろにさらに横に1つ。中央部分が制作場所で,おそらくろくろを回したところ。左側は磁土の沈殿槽や釉薬をおいてあったところというのが主なレイアウト。まだ発掘が終わっておらず,半分以上は,グランドシートがかけてあるまま。 これから,行こうと考えられている方(がいるかどうかわかりませんが)は,必ず事前に河南省文物局の許可を取ってから(許可がおりるかどうかは?ですが)行かないと悲惨なことになってしまいます。 窯跡をでるともう町は真っ暗,時計を見ると6時半を過ぎ。ちなみに,清涼寺というお寺はもう存在せず,単に地名として残っているだけ。なんだかんだして帰途に着く。やはり時間が短い。今度来るなら兎州あたりで一泊したほうがゆったりできそう。 清涼寺から,高速の入り口まで2時間,高速で1時間半ということで,ホテルについたら10時をだいぶ回っていてさすがに疲れました。 宋の首都開封までこんなに遠いところになんで,官窯をおいたのかというのが一番の感想。おそらく当時自動車も鉄道もなく,まして高速道路も無い状況では,舟で運んだとしても,1ヶ月くらいかかったのでは無いかと思ってしまいます。徽宋皇帝が開封に北宋官窯を移したのも納得できる距離。それにしても,大阪の東洋陶磁でいつも穴があくほど見ている汝窯がこの窯で焼かれたのかとおもうと,感慨ひとしおの一日でした。 |
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鄭州市内の焼き物スポット | 兎州市神后鎮(河南省最大の窯業地) | ||||||||
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