青花 |
茶道具で重要なものはなにかといえば,やはり茶壺と茶杯でしょう。茶杯はお客様が直接口に触れるものだけに特に気を遣うものです。一般的には茶杯内部が白いものがよいとされています。理由は簡単で,淹れたお茶の色がよくわかるようにという意味です。
そういった意味から,昔から白磁か,青花(染め付け)が茶人達には好まれていました。抹茶など透明度の薄いお茶は,福建省建窯の黒釉や,青磁が逆にお茶の色を引き立てるものとして珍重されたのと同じ理由です。宜興の紫砂胎の茶杯ものも,だいたいのものは,中に白釉がかかっています。紫砂胎の茶杯のほうが,茶壺と同じ理由でお茶がおいしくなるという人もいますが,やはり淹れたお茶の色を楽しむのも重要な要素です。
壺迷では,茶杯についてはいろいろご紹介してきましたが,ここで青花についてちょっとまとめてみました。 |
■青花とは |
茶杯という観点から碗を考えると,やはりお茶自体の飲み方の変遷とリンクしています。宋の頃は,天目茶碗など,濃い釉薬をかけた大きめの茶碗が主流であったのに対して,やはり福建・潮州あたりの工夫茶の出現と,その日本への伝搬である煎茶道具として,青花の茶杯を使い出したようです。お湯を注ぐという淹茶法になりお茶自体の色が薄く透明になるに従って,その色を忠実に再現できる白磁や青花の茶杯が主流になったといえそうです。工夫茶の教科書では,茶杯は景徳鎮,しかも紙のように薄いのが良いとされています。
そもそも青花というのは,白胎の素地に,呉須と呼ぶコバルトを使って絵文様を書き,透明な釉薬をかけてから1300度前後の高温で還元焼成した磁器を指します。産地は主に景徳鎮ですが,福建省や広東,日本,韓国遠くはベトナムやタイでも作られています。雲南省の玉せん窯,建水窯,禄豊窯,大里の鳳儀窯,四川省金沙窯,会理窯,浙江省江山窯,安南(ベトナム)等で青花がつくられ,窯によっては現在も制作されています。
青花は, 中国ではすでに紀元前7世紀にコバルトを用いた瑠璃珠を作ったりしています。
呉須磁器に関してはすでに唐や北宋の頃の磁片等が出土しており,青花という技法は確立されていたのですが,宋の頃は青磁が主流であったため,染め付けは,あまり発展せず事実上,元のある時期景徳鎮で復活するまでは,陶芸史に登場しませんでした。
青花磁器が普及したのは元時代,中東(ペルシャ)からのオーダーで45cmクラスの大皿を輸出品として生産し出すのが,スタートであるといえます。トルコのトプカピサライ美術館は,この時代の大皿が大量に展示されています。エジプトの砂漠の中にも,この時期の陶片が出土することがあるそうですから,いかに大量に輸出されていたかということが分かります。
景徳鎮から宮廷に納めていたものは,当初陰青系の白磁や卵白釉を使った枢府器などが主体でしたが,徐々に宮廷でも青花を採用するようになり,青花の時代になります。
青花は,ヨーロッパでも宝石と同等の扱いを受け,大変高価なものとして扱われます。タイでも,中国系の人たちを中心に珍重され,韓国,日本などでも代々家宝として,大事にされてきました。
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■青花の特徴1:釉下彩であること |
青花の一番の特徴は釉下彩であるということです。釉下彩とは,下の図のように胎→絵→透明釉という順番になっているものをいいます。
■釉下彩
釉薬の下に絵があるものを釉下彩といいます。釉の下にに文様があるため,かすれて見えなくなったりしません。
■釉上彩 逆に,明の頃の赤絵(五彩)や,琺瑯彩のように胎→透明釉→絵という順番になっているものを釉上彩といいます。
■闘彩
青花の上にさらに釉上に色絵付けをし、二度焼きしたものもあります。
青花は釉下彩です。 |
■青花の特徴2:白磁胎であること |
青花を英語圏ではブルーアンドホワイトと呼びます。青花は基本的にこのブルーアンドホワイトでなければなりません。
ホワイトの部分はボディの土の色が白いつまり白磁胎であるということです。専門的にいえば,土の中の鉄分の含有量が少なく,1300度の高温焼成に耐えられるものでなければなりません。ボディの土がへんてこな色では,美しいものになりません。
一般的に胎は白磁土とカオリンを使って作ります。文献では,磁土75%,カオリン25%がベストな混合比率だそうです。それほど可塑性は良くなく,元や明の頃の梅瓶の大きなものは上中下と三つの部分を張り合わせて作ってあります。
青花は,雲南省(うんなんしょう)や,福建・広東・遠くベトナム・韓国・ヨーロッパなどでも制作されています。もちろん日本でも伊万里を中心に中国青花のコピーを作っていたことで有名です。
ベトナムや雲南省あたりの青花は,良質の磁土がとれないために,茶色の土にいったん白い化粧土をかけて胎を見た目白っぽくみせています。ですから,かけたところや高台をみれば,景徳鎮でないというのはすぐにわかります。
微妙な胎の色
景徳鎮でも,時代や焼き方によって微妙にこの白さが違ってきます。これは,胎の色というより,透明釉が焼成の時に,酸化ぎみになったか還元ぎみになったかということにもよるのですが。たとえば,明成化年間の小さい茶杯は見た目が若干クリーム色っぽくなっているのに対し,明末〜清朝では,青みがかっている。
最近の景徳鎮は純白であるという違いがあります。
宜興もそうですが,最近の景徳鎮は,胎は純白,呉須は最高の発色,絵付けもきれい,焼成もガス釜のせいで完璧!となってしまったため,逆に私などは欲しく無いということになってしまいます。
宜興も,最近のものは技術面だけ強調したものが多く,欲しくないのと一緒です。 |
■青花の特徴3:ブルー文様であること |
やはり,青花というからにはブルーの絵文様でしょう。このブルーは呉須(ごす)というコバルト顔料を墨のように溶いて,水墨画のように筆をつかって書きます。
コバルトという顔料は,世界でアフリカと中国にだけあるものだそうで, 一般的には,イスラム教文化で,青が神の色であるというところから,中国に青い焼き物を発注したというのが定説です。
呉須は時代によって,成分や産地に特徴があります。青花磁器を鑑定する場合,この呉須の発色によってかなり時代を特定できます。
歴代青料の産地及び発色一覧表
時 代
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青料名称
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産 地
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発色の特徴
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唐
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硫鈷鉱 方硫鈷鉱
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河北省、甘粛省産
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鮮やかで、溶み、黒斑がある
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宋 |
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浙江省金華地区 |
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元
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蘇麻離青
(スマルト)
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東南アジア
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鮮やかで、黒斑がある。単体では滲まない
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珠明料
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雲南省会沢、鎔峰、宣成、瞞騰、宜良
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青色は灰色を帯びる
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浙青(浙料)
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浙江省衝州
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暗灰色
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明 洪武
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国産料
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不詳
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青灰色、暗くて淡い
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輸入料
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不詳
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青黒色、鮮やか
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永楽
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蘇麻離青
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東南アジア
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鮮やかな青緑色、色の濃いところには黒色
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宣徳
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破塘青
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江西省楽平
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黒青色、黒褐色の斑点がある比較的淡く、優雅
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成化
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破塘青(平等青)
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江西省楽平
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優雅で、穏やかで、あっさりし
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弘治
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破塘青(平等青)
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江西省楽平
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青色は灰色を帯びる
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正徳
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破塘青(平等青)
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江西省楽平
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嘉靖
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回青
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西域
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華やかで、青色は紫色を帯び、滲みがある
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隆慶
万暦
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石子青(無名子)
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江西省上鳥
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回青と混ぜて使用するとよりよい発色効果を有する
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天啓
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浙青(浙料)
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浙江省衝州
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暗灰色
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崇禎
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石子青
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江西省上高
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淡く、深味がない
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清 康煕
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浙青(浙料)
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浙江省衝州
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早期は青色か灰色を帯びる中期は、青緑色で明るく、非常に鮮やかな発色後期は滲みがある
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清 雍止
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浙青(浙料)
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浙江省衝州
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永楽、宣徳の模造品は、華やかで青色は黒色を帯びる
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乾降
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浙青(浙科)
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浙江省衝州
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成化の模造品は、上品である
嘉靖の模造品は、鮮やかな青緑色で、青色は紫色を帯びる
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光緒
中華民国
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洋藍
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不詳
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輝かしい鮮やかさだが、趣にかける
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現代
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合成
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どの時代のものも作れる
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中国染付 コバルトブルーの世界 佐川美術館より(一部加筆) |
■唐 |
河北省や甘粛省産の中国呉須。一般的に「硫鈷鉱」(りゅうここう)「方硫鈷鉱」と呼ばれている呉須。
いおう・銅・マンガン・鉄分が含まれています。 |
■宋 |
浙江省金華地区産の呉須。青花はほとんど発見されていません。越窯や効壇下官窯の青磁の下に青花が描かれているものが残っています。 |
■元(中東向け輸出品) |
景徳鎮でもっとも美しいとされるものがこの元代。適度な温度焼成されたものは,宝石のような発色をします。
これは中央アジア(ペルシャ)から輸入した呉須「スマルト」(蘇麻離青)を使っているため。スマルトはマンガンとアルミニウムが主体の呉須で,鉄分や砒素が含まれています。そのため,元のスマルトは鈷毒砂ともいわれています。呉須はコバルトをガラスのように固まるように焼いて「藍色料石」と呼ばれていた。これを砕いて使っていたそうです。
スマルトの特徴は,融点が低く,呉須の中にたくさんの泡ができて,釉を押しのけるため表面に黒くてくぼんだ部分(鉄[金秀]斑:てっしゅうはん)ができるのが特徴。また,スマルトにはガラス成分が入っているので,黒い点自体もぼけるのが明末古染め付け青花との違いです。
スマルト単独ではにじまないので,中国産の呉須を使い分けて,だみ(ぼかし)の効果を出しています。花鳥人物は,独特のぼかしの感じがあります。
元青花の特徴は,大きな皿や梅瓶など大きなものが多く,力強いことが特徴です。また呉須の模様がかなり書き込まれていて,素地の白のままの部分が比較的少ないということです。これは後の芙蓉手の手法にも似た「段階装飾」という技法を使います。これは器の部分を線で区切って,縦方向に模様を描き,さらに空いた部分に細かい模様を入れていくという方法です。
さらに元以前の他の窯にみられたような単に模様や字をいれるという絵付けではなく,中国画の技法に則った絵画のような筆使いで文様をいれていることも特徴です。人物,動物,花鳥,草虫,魚水,唐草などの文様を実に生き生きと描いていること。さらには,これを単なる絵としてでなく,繰り返したり,上下に配置するなどのデザイン化がなされていることです。
■大皿や梅瓶など大きなものが多いのは青花自体が,宮廷納めではなく,中東地域からのオーダーによるためであると言われています。つまり当時の中東地域の大皿料理といった食文化によるためであると言われています。
■高台は,斜めに削り出されているのが普通です。
■一般的に,底は無釉。(玉壺春の一部を除く)
■梅瓶の首は,上に行くに従ってすぼまっている。
■スマルト呉須を使っているため,濃い青色。
■五爪の龍は無い。(当初すべて輸出の製品であったため,民間器に五爪龍紋を入れることは禁止されていました。)
■底に紀年款は入っていません。 |
■洪武 永楽 宣徳 |
明王朝の海禁策により輸出入が一次途絶えたため,スマルトは入手できなくなり,浙江産の平等青(へいとうせい:またの名を石子青(せっしせい))を使います。中国産の呉須を通称土青(どせい)と呼びます。
永楽期には再度スマルトが輸入され,土青(中国国産の呉須の総称)とスマルトを使い分けします。
紀年 官窯に関する記録
洪武(1368〜1398) 洪武26年(1393)官窯を定めた。
永楽(1403〜1424) 官窯に関する記録なし
宣徳(1426〜1435) 営造所丞を任命
正統(1436〜1449) 景徳鎮御器廠を廃止
景泰(1450〜1456) 宮廷用に貢する磁器を2/3に減じた。監督官の精度を廃止
天順(1457〜1464) 天順元年(1457)中官を任命
一般的に明の青花は,元の豪快で力強い作品から,かなり緻密なものになってきます。また,作陶技術の進歩により,高台等の削り出しが精密になり胎土自体の白さが増したこと。釉薬がより透明度を増したことなどがあります。
元の青花のようにこれでもかというくらい呉須模様を入れるのではなく,胎の白とのコントラストを重視します。
洪武期には,一次ペルシャへの輸出が途絶えたため,青花の生産も停滞します。
変わりに,呉須ではなく銅紅料(酸化第一銅)を使って染め付けた釉裏紅(ゆうりこう)という赤い文様の染め付けが元末から明初にかけて主流になります。
青花と釉裏紅を合わせた青花釉裏紅などもあります。昨年日本でも公開された北京故宮の壺は名品ですね。
永楽宣徳年間には,永楽帝の輸出振興策もあって,青花の生産は黄金期に入ります。この時代は,草花,果実,図案などが主体で,怪獣や人物などはほとんどありません。しかもかなり写実的になります。
■年号款が入るようになる。
(篆書の「永楽年製」4文字のみ楷書および「大明永楽年製」という六文字年款は無い。)
■大皿の底にもすべて釉薬がかけられる
■砂細底と呼ばれる,手で触れると粉状の感触のある細かい仕上げになる。
■一般的に永楽窯は胎が厚く,宣徳窯は胎が薄いのが特徴。永楽時期は,花弁や葉脈を空白のままにして,その後に構図に基づいて線を入れるという技法や,釉薬や顔料をにじませるという技法が登場。
その後の,正統,景泰,天順期には,官窯器は見つかっていません。逆に,民間窯は発展し,次の成化窯のプロローグとなっています。 |
■成化 |
成化窯は小ぶりなものが多く、小さな皿や茶杯などが多くあり、大皿は7寸どまりで尺皿はほとんどみられません。成化窯は後期にスマルトから,中国国産の平等青(へいとうせい)を使うことが主体となり,細かくて典雅な独特の淡いできのものが主となります。前期はスマルトを使用。後期は平等青。
紀年 官窯に関する記録
成化(1465〜1487) 成化22年(1486)景徳鎮の焼造官を廃止。
成化時期は,青花にさらに後から色をいれた闘彩(とうさい)が主流になります。成化窯の特徴としては,色調は淡泊で淡く,透き通ったような印象を持つのが特徴です。青花中に黒い粒は見られません。この時期は呉須を水で薄めるという技法が登場。これにより,水墨画のような感じをだすため水の量による濃淡で表現されています。。
■模様の輪郭をにじまない呉須を使い,内部を水で薄めた呉須で濃淡をつけていく技法。
■官窯は,さらに細かい仕上げになり,玉のような感触。
■底には,まだらなお焦げのような「米糊底」があるものもあります。(これは成化窯だけの特徴)
■比較的小型のものが多く,元のような45cm級の大皿はほとんどありません。
■日本の煎茶道具として使われている古染め付けには,無款か,「大明成化年製」の紀款が入っているものがありますが,ほとんどは,この時期の成化窯ではなく明末の民窯で作られたものです。 |
■正徳 |
初期は成化窯を継承しています。
江西省上高県天則鉱の石子青(せっしせい)(別名を無名青)を使ったものもあります。後期は回青(やはりペルシャからの輸入呉須)を多く使うので,濃い発色の鮮やかなものになります。回青は,スマルトよりコバルトの成分がすこし少ないだけ。これにマンガンとアルミニウムが少し含まれます。
紀年 官窯に関する記録
正徳(1506〜1521) 御器廠を初めて設置。各色釉,青花の焼成を禁ず ■大型のものが再び制作され,粗造のものが多い。
■素地はきめ細かく,釉は厚くかかっており,光沢があって,灰青色がかっています。特に底は,青みがかった釉であるのが特徴。 |
■嘉靖 隆慶 萬歴 |
やはり回青が主。やはり艶のある深い青色が特徴です。
また,回青は融点が低く,単独では使えないので,楽平のはとう青,瑞州の石子青とを混ぜて使うようになります。このブレンドの仕方によって,回青が多いものはだみが多くにじんだ出来になり,石子青が多いと黒っぽく発色します。
マンガンのせいで若干紫がかったものもあります。
萬歴年間24年には,回青が手に入らなくなり,国産の浙青を使うようになります。萬歴34年から明末まで官窯は,すべて浙青を使っていました。青花の生産量はピークに。当時宮廷の宦官(かんがん)達は,景徳鎮に大量の納品を強要したため,その生産は御器廠だけではまかなえず,民間窯に生産を委託しました。その結果,民窯の技術は格段に進歩しました。(ほとんど官民の技術的な差が無くなったと言われています)
■萬歴の浙青を使う頃,呉須製錬技術が高まり,鮮やかな青色に発色しています。初期は,コバルトを水ですすいで,磁石を使って不純物を取り除く方法。後期は,火で焼成することで洗練していきます。
■瓶や皿などの他に,文房具や塑像などが生産されました。
■濃淡というよりも,濃い青で紫がかってさえいるものが多くあります。模様は,唐子,龍鳳,魚藻,草花,吉祥模様などが主です。 |
■明末清初の民窯 |
日本で芙蓉手や古染め付けとよばれるこの時期の民窯は,浙青・石子青が主体。若干色が濁り,紫がかった独特の味わい。国産の石子青は精錬の状態がわるいため,呉須のに黒い点が入り,元時代のスマルトのような味わいがでているのが特徴。ただしこの黒点は,元染めのようににじみません。また,色の濃い部分は,透明釉がへこんだようになっています。
紀年 官窯に関する記録
嘉靖(1522〜1566) 嘉靖44年(1565)焼州府通判を設け,廠にとどまり監督させた
隆慶(1567〜1572) 隆慶6年(1572)御器廠の焼成を復活させた。
青花の生産量はピークに。当時宮廷の宦官(かんがん)達は,景徳鎮に大量の納品を強要したため,その生産は御器廠だけではまかなえず,民間窯に生産を委託しました。その結果,民窯の技術は格段に進歩しました。(ほとんど官民の技術的な差が無くなったと言われています)
■萬歴の浙青を使う頃,呉須製錬技術が高まり,鮮やかな青色に発色しています。初期は,コバルトを水ですすいで,磁石を使って不純物を取り除く方法。後期は,火で焼成することで洗練していきます。
■瓶や皿などの他に,文房具や塑像などが生産されました。
■濃淡というよりも,濃い青で紫がかってさえいるものが多くあります。模様は,唐子,龍鳳,魚藻,草花,吉祥模様などが主です。
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■明末 |
清初 日本で芙蓉手や古染め付けとよばれるこの時期の民窯は,浙青・石子青が主体。若干色が濁り,紫がかった独特の味わい。
国産の石子青は精錬の状態がわるいため,呉須のに黒い点が入り,元時代のスマルトのような味わいがでているのが特徴。ただしこの黒点は,元染めのようににじみません。また,色の濃い部分は,透明釉がへこんだようになっています。
紀年 官窯に関する記録
嘉靖(1522〜1566) 嘉靖44年(1565)焼州府通判を設け,廠にとどまり監督させた
隆慶(1567〜1572) 隆慶6年(1572)御器廠の焼成を復活させた。
天啓,崇偵年間には,官窯でめぼしいものはほとんどありません。逆に民窯は,オランダをはじめとしたヨーロッパ向けの「カラック磁器」,ロシア,日本などに輸出され,大きく発展しました。
この時期の民窯製品を日本では,茶道具には「古染め付け」,それ以外にも「芙蓉手」(ふようで)と呼ばれる薄手の碗や皿,「天啓染め付け」,「呉須手」「祥端」(しょんずい)等という名前で伝世品が多くあります。
■この時期の民窯は,粗雑で,釉も灰青色のものが多いのですが,中には,祥端のように発色の良い上手のものもあります。人物,花鳥,果実,雲竜怪獣,山水遊魚,吉祥紋など多彩。
■これまでの官窯製品は,北京の太監によって設計された模様を厳密に移すことしか認められていなかったのですが,この時期の民窯は,自由な発想で人物や物語のシチュエーションなどを描いたものが多く,
煎茶茶碗としても,単純な模様のものより,動物,野菜,人物などを描いた伝世品に名品が多くあります。
■古染め付け,祥端はいずれも100%日本からのオーダーです。従って,大陸で出土品の古染め付けを探してもありません。
■古染め付けは,虫食いと呼ぶ,釉飛びや,口辺あたりの釉はげがあるのが特徴です。(すべてにあるわけではありません)
■芙蓉手は,皿や器をいくつかのエリアに分け,それぞれ文様を入れたものをさします。
■祥端は「五良大甫呉祥端造」という楷書の銘が入った青花磁器。古染め付けに比べて極めて上手。青は明るく発色が非常に美しいのも特徴です。
景徳鎮は,昔から分業制を敷いていたため,このように作家の名款が入るのは極めてまれなことです。
■この時期のものも成化年製をいれているものが多くあります。以降現代に至るまで日本の伊万里や京焼きなども,大明成化年製の紀年款を使っています。これは,茶壺に於ける孟臣銘と同じく,飾りだと思った方がよいでしょう。
■日本では1615年には,景徳鎮の衰退に伴って,東インド会社から日本の有田に青花の発注があり,VOCのロゴとともに,「大明成化年製」款の日本製,青花磁器が大量にヨーロッパに輸出されます。また,初期伊万里といわれているものは,ヨーロッパからの注文デザインだけでなく,古染め付けや祥端のコピー品が多くあります。その後,茶器だけでなく,日用雑器を含め,京焼きや瀬戸,湖東焼きなど日本でも各地で青花が作られています。
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■清中期 |
康熙,擁正,乾隆〜光諸は,浙江省の浙青(せっせい)という,非常に純度の高い呉須が使われます。
浙青呉須の特徴はは非常に細かく,洗練され均一で透明。水墨画のように,何段階かの濃淡が表現でき,薄く塗っても発色がよいという特徴があります。康煕年間は,再び青花が隆盛を極めます。大量の輸出需要だけでなく,宮中・民間ともに青花が焼き物の主流となります。
■造形は多様化,生活の息吹を感じるデザイン
■素地や胎の白さが増し,呉須は発色が濁らない澄んだ青でしかも濃く,筆遣いの濃淡が出ているのが特徴。(水で薄める技法でなく,筆使いで濃淡を出す)この結果,皿や壺に絵付けされたものは,水墨画とみまごうばかりの出来です。
■大方瓶,観音像など日用品以外に多種の伝世品があります。
■日本で呉須手と呼ばれるものは景徳鎮でなく,福建省や,広東あたりのものがほとんどです。特に「砂高台」と呼ばれる,畳付き付近に窯に焼き付くのを防ぐ砂が着いたままのものは,福建省?州窯のものです。
嘉慶以降徐々に中国磁器の生産は衰えていきます。 |
■清末 |
オランダからの,洋藍(合成呉須)が使われだします。(ガラス質でないので,流れやすくにじまない)
また,珠明料と呼ばれる雲南省の腕青も使われるようになります。光に当てると,真珠のように黒光りするのが特徴。乾隆から後は,模倣や技巧のみ凝った作品が多くなり,無意味な複雑さや緻密さ,華麗さばかりを追求したものが多くなります。
(現代の宜興に似ています)
1840年の阿片戦争を期に景徳鎮窯業自体が衰退していきます。
■玲瑯(れいろう:俗に蛍焼き)という,胎に穴をあけ,透明な玲瑯釉で埋めていったん焼成し,その後呉須で染め付けをするという技法が現れます。現在も中華街などでよくおみやげとして売られていますね。現在眼に触れるものは,粗雑な土産物レベルのものばかりですが,清朝時期につくられたものは,独特の味わいがあってすばらしいものです。 |
■民国 現在 |
合成呉須が主体。景徳鎮古陶磁研究所などの各時代別呉須の成分分析が完成し,現在の景徳鎮は,ほとんどどの時代の呉須を再現出来るようになっています。
ただし,胎や呉須自体の純度が高すぎ,また窯も精度の高いガス釜などを使用するため,味わいという点からは,やはり現代的な感じを拭えません。■すでにカオリンは枯渇して,付近の別の山からとった同様のものを使用しています。
■新中国成立後,燃料が薪から石炭に変わります。最近は重油やガス窯が主流。
従って,明のころの胎にみられる自然な橘皮(きっぴ)感はなくなり,つるっとしたものになってしまいます。
皿や壺椀などだけでなく,様々な製品を作り出しています。国営工場は,他の窯同様もう既になくなり,現在は工芸美術師など作家の工房が主体になっています。
■青花自体は,昔の倣作が主ですが,デザインものは,青花に他の技法を混ぜ実に様々な作品が登場しています。(これは,好き嫌いがあると思います。実際に景徳鎮では,昔の作品の倣作のほうが主体です。)
■最近新聞で,毛沢東専用の食器が発見され,極めて良質の薄胎であることから上海で現代官窯ということで展示されるそうです。 |