早期壷 その7 刻字壷

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刻字を施したシリーズがあります。これもレアといえばレア

裏面には山水が描かれています。8杯壷です。ところでこのX杯というのは容量を表し,8杯は105ccです。

杯数は微妙で朱泥と紫砂では焼成時の収縮率が異なるため,杯数が違っても同容量ということもあります。

早期壷 その6 金彩壷

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これは日本からのオーダーということになっています。私は日本に来てからの後絵付けだと思ってました。

日本人が好む金色なんだそうです。一時期煎茶道具でこういうのはやっていましたが,でもあまり見ませんね。レアといえばレア。

早期壷 その5 請飲中国烏龍茶

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早期壷はXX恵孟臣製という6文字款(XXは荊渓か宜興)と中国宜興という4文字款がほとんどですが,荊渓南孟臣製というのとこの中国土産畜産進出口公司福建分公司とか写真の厦門分公司というもの,マレーシア向けの茶荘款が入ったものがあります。

南孟臣は潮州から宜興へのオーダー品,中国土産・・・は福建省からのオーダー品です。

 

写真は厦門分公司の高湯婆です。(なおここのブログの写真はクリックで大きくなります。)

 

早期壷 その4 鴿嘴標準壷

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これは日本からのオーダーということになっています。日本の煎茶葉のために,この嘴型の注ぎ口にしたんだそうで・・・

確かに常滑や京都のお茶屋で宜興オーダーの早期壷一時おいてありましたが,ほんとかなー。これでハンドルを横に持ってきたものもあるんですが・・・

 

個人的には好きではありません。

早期壷 その3 黒リンゴ

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早期壷はなぜブームなのかと思うとよくわからないのですが,消去法なのかもしれません。

古壺はほとんど流通しないか,コピー品。新しいものは浙江省の土を使ったもの,となれば最後の宜興土である早期壷が割安感があって好まれるのかもしれません。

ただ,早期壷もコピー品が多くというか別に銘があるわけでは無いのでコピーというのは正確で無いかもしれませんが,第一工場の仕様で作った新物が市場に多く出回っています。また福記や墨縁齊意堂銘のものもほぼコピー品です。

 

本日は早期壷でも異色な黒苹果を紹介します。朱泥のものも市場に出ているようですが,当時から朱泥が作られていたかは,定かでありません。

早期壷 その2 五形壷

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早期壷は第1工場設立前,設立直後(50~60年代),旧土使用期(70年代),それ以降と4期に区分されます。早期壷は景徳鎮同様分業ですから,同じ時期のものは同じ品質です。

窯の焼成方法,土の使用,型の改良などで年代がわかります。

写真は代表的な早期壷である五形壷です。ただし太藍(前列左)は後から加わり当初は四君壷と呼ばれるシリーズでした。

 

早期壺 その1高湯婆

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早期壺がブームです。たぶん大陸と台湾が火元だと思います。

HPであまり早期壷について触れていなかったのですこしご紹介します。

早期壷とは老一廠(旧第一工場)が大量生産をするために型だしで作った量産品で,分業で作られたため作家名は入らず6文字款(荊渓X孟臣製。Xには恵か南),宜興恵孟臣製や中国宜興という4文字款があり,初期は蓋裏にサイズを表す6とか8とか12杯などと入っています。実は現在ほぼ年代を特定できる要素が発表されているんですが,ここで公開しても誰得というか骨董屋さんしか益にならない情報なので公開しません。

第一弾は高湯婆と呼ばれる形の早期壷です。

ナショナルミュージアム インドネシア

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噂に違わず明時代を中心にした中国外銷瓷,特に青花と福建漳州窯のコレクションは圧倒されました。初めて見る大皿以外の瓶や鉢などに目を奪われます。また世界一といわれているベトナム瓷器のコレクション。予想より展示数は少なかったですが質の高さは大英博物館を超えているのではないかと思います。それにしてもこれら外銷瓷,日本に入るときにかなり日本人好みのものに絞られていることがわかります。日本で呉須手とよばれる尺皿はかなりのものがインドネシア買い付けのものであるといわれていますが,たぶん仕入れを行った商人が日本人に売れそうなものだけピックアップしたのでしょう。それらが日本で伝承して漳州窯というのはデザインパターンが少ないと思われていることがわかります。

次はここから名品を吸い上げていったプリンセスホフ美術館ですが・・・遠い!