今年(2017)の展覧会

今年は個人的に面白い展覧会が沢山ありました。

思いつくまま列挙すると、一番は京都国立博物館の国宝展第2期。大徳寺曜変天目の展示。何でも前回から17年ぶりということで、前のり(前泊)で出かけましたが、初めてみるだけに様々な感想を持ちました。
併せてNHKの日曜美術館での映像が素晴らしかったです。

そして東洋陶磁美術館の新発見汝窯の展示と伊勢コレクションの展示。フランスのギメ東洋美術館の展示帰りをそのまま展示してくれて堪能しました。汝窯展は曜州窯の失透青磁(クリープランド青磁)に似た青磁を柴窯ではないかという問題提起もあり面白かったです。
ちなみに東洋陶磁は写真撮影可が復活しました。

東博の茶の湯も今年でしたっけ。

最近では泉屋博古館での民清名画展。コンパクトで中身の濃い展示でした。

個人的には東博のタイも面白かったです。陶磁器がほとんど無かったのが残念。来年はリノベーション工事の終わったバンコクナショナルミュージアムに行きたいと思います。
噂では写真解禁だとか。

東博川端康成寄贈の汝窯

東博漳州窯大皿

諸事情により

投稿できない状態で放置していました。

投稿をぼちぼち再開したいと思います。

良かったら覗いてください。

壺迷

写真は先日まで東洋陶磁美術館で開催されていた伊勢コレクション。素晴らしい展示でした。

インスタグラム

はじめてインスタはじめて最近もっぱらあちらの更新にかまけています。
面白いのは韓国、ロシア系の方が特にフォローしてくださって、
小さな紫泥の急須でプーアールを飲むのがブームのようです。
古物には興味を持たれてはいるようですが、観点が独特でニーズがもう一つ掴みきれません。しかし当方も500を超える急須を持ってますから、毎日これは受ける。これは理解できないと仕分けしています。
ということでインスタをフォローしてください。

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bekkoameサイト閉鎖しました

1995年から発信してましたbekkoameサイト閉鎖しました。長年のご愛顧感謝します。今後はcsideサーバーで継続いたします。
ブログが中心になろうかと思いますが興味を持っていただきましたら引き続きのぞいていただけると幸いです。また昨年からインスタグラムでも発信していますのでこちらもよろしくお願いします。

壺迷老人

コレクションの谷間

 

かれこれ20年以上急須ばかり集めていると中には珍品としか他に表現のしようがないものがいくつかあります。それは、悪意のある粘土細工や贋物ではなく、明らかに真面目に作っているんだけど、一体どこの急須?

というもの。

写真はコレクションの早い時期に入手したものですが、未だにこれナニ?
というものです。
底落款には宜興県孟臣製となっていて、カエルかハスの刻画があり、よいできです。
土は典型的なヨーロッパ朱泥ですが、欧州でこのレベルの刻ができたとも思えません。
知る限り宜興以外で宜興を名乗っていたのは3箇所。
江西省宜興村、日本の佐渡、インドネシアです。
知見のある方ご教授下さい。

鑑定団

今日放送の鑑定団
北京で購入したという琺瑯彩の九桃天球瓶が出て、現代の景徳鎮作の工芸品というコメントでしたが、あれは北京の骨董店で購入という背景やあまりに稚拙な絵付けからして、景徳鎮ではなく、北京で伝統工芸品として有名な北京倣古磁器と思いましたがどうでしょう。
北京市はこの手の伝統的なコピー品をすでに認知していて、書籍まで出ています。
にしてもレベルは相当低いので初期の北京粉彩でもないかもしれませんが・・・
現代景徳鎮のコピーレベルは、もっとずっと高度で一見して分かるような稚拙なものはもっとほかの場所のコピー村の作だと思います。
これも実物を見ていないので感想の域を出ませんが。

最近の北京倣古磁器

値段も高いしできも良い(インターネットから)

銷往欧洲的宜興茶壼

いつもお世話になっているネット書店の書虫さんを見ていたら、Yixing teapots for europeの中国語版が出ていました。原本は前半がフランス語、後半が英語という二部構成でしたが、ヨーロッパ外銷宜興の全体が理解できるきわめて重要な書籍です。原本は現在入手不可能で古書だと700ドルくらいのプレミアがついているようです。また中国語の方が得意という方にはおすすめです。

 

(写真は書虫さんから)

贋作トレンド 注意喚起

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これは巧妙な贋作

宜興紫砂といえば昔から高度な贋作との闘いです。
最近なかなか凝ったはめ込みがあるので注意喚起を

大陸で出る図録が贋物の伏線になってます。昔から図録は紫砂に限らず重要な教材ですが、最近はめ込み目的としか思えない図録が大陸で結構でてます。
こういう仕掛け

まず図録がもっともらしく明清紫砂なんちゃら・・・なんて上梓されます。
私は見たことがないので買います。結構高いし、有名な出版社。
家に帰って見ると違和感ばりばり。業界用語でいう懐に入らないものばかり。
ここまでは許せます。眼が効かないね・・・ですみます。
ところがこれの原件がオークションに出るんです。
ここまでくると最初からはめ込みかい!となります。

また文革時代顧景舟が毛沢東バッチをメダリオンにした朱泥というか大紅包泥の作品集図録があります。宜興製品を香港台湾製と言わないと店が壊された時代に底款に顧景舟なんて落款を入れたら本当に三角帽子です。
私の知識と理解ではありえないです。実はうちに一刻あって非公開です。

それから許せないのが早期水平壺の贋作。型出し量産なので簡単。ここに宜興惠孟臣てハンコを押すとたちまち10万円の早期壺になっちゃう。

紫砂の図録は顧景舟が編んだものと、初期の台湾図録。故宮の図録、雑誌あとは無視しましょう。

宜興紫砂工芸厰(老一廠) その7

宜興采鉱公司
1955年7月に宜興采鉱公司が設立されました。(宜興県工業志)11月に黄龍山鉱区15箇所に鉱口を設置,1956年4月黄龍山鉱場で夹泥,紫砂泥の採掘が開始されます。
黄龙山には通算して1から5号までの鉱口がありました。

(当時の坑道:インターネットから)

 

一号鉱は最盛期2万トンの産量を誇っていたが,1965年に閉山,
二号鉱は最盛期3万トンの産量であったが,八十年代初めに閉じた。
三号鉱は1万トンの産量であったものの七十年代中期閉山
1972年 2.58万元の国家予算を投じ黄龍山4号鉱を開発。地下36メートル,7メートルの鉱脈であった,四号鉱での採掘開始。年間5万トンの産量を誇った。1987年には7万トンまで達した。内訳は紫泥2671トン绿泥9トン。
しかしながら永年の乱獲により、  坑道は地下400メートルに達し,1997年10月 4号鉱も諸経費その他の要因により閉山。
1979年五号鉱での採掘開始。8月黄龍山5号鉱で夹泥と紫砂泥を採掘,ハンドドリルで粉砕してからトロッコで運搬する方式であったようです。年間2~3万トン。1984年10月5万元の予算を投じ,湿式ハンドドリルを導入。相次ぐ落盤などでエレベーターによる入鉱となります。
1987年 5000トンもの産量不足となり、1999年には地下水の流入を抑えられず黄龍山は全て閉山となりました。

(水没した黄龍山採掘場:インターネットから)

 

 

これ以降各所で試掘を行うも良質な鉱脈に当たらず、鉱脈が同じということで現在は浙江省の土を使い、様々な金属化合物を混ぜて原料としています。

宜興紫砂工芸厰(老一廠) その6

1958年 宜興紫砂工芸一廠


大躍進が始まった頃,江蘇省陶瓷研究所を設立。さらに蜀山陶業生産合作社をベースに,宜興合新陶瓷廠。上袁,潜洛の28個人業を集めて“宜興紫砂工芸廠(合作社)”を設立しました。従業員2067人。その目的は大量生産であったため伝統的なタタラ作りでなく、型を使った生産方式を採用しました。それでもエンジニアや指導者の不足は深刻なものであったためリーダー二人に10—15人の班で構成された“躍進班”とよぶ小集団方式で生産しました。“紅旗班”。“永勝班。“芸泉班”などと呼ばれていました。

紫砂中学を創業するとともに優秀な人材を選び中央工芸美術学院,南京芸術学院に派遣もしました。1958年から1959年にかけて周桂珍,潘持平,何道洪,呂尭臣,譚泉海,鮑志強,毛国強,沈漢生,周尊厳らが派遣されました。

1958年頃はすべての製品が“合作社壺”と呼ばれ,1966-1976年は”文革壺”と呼ばれたため,純粋な一廠壺と呼ばれるものは1977-1997年を指します。

“一廠壺”は潤沢な4号鉱の最良の紫砂泥料を使っています。一廠壺の原料はすべて自然風化させた紫砂原鉱腐土でした。
加えてまた一廠の重油トンネル窯は極めて優秀でした。紫砂廠の泥料を外部で焼いたところ,水色(水を帯びたような透明感)が出ず、乾燥した全く劣った上がりとなったそうです。
また小集団で製作を行った型出しでありながらリーダーたちによる補型がなされたため品質も悪くありません。
重油窯の環境的観点からの使用禁止。黄龍山の紫砂泥の採掘不能、大師級クラスの工場個室での製作から次第に自宅工房による個人営業の拡大など諸要因により1997年に事実上の終焉をむかえるまで39年の歴史があり数々の名品を生み出しました。

宜興紫砂工芸厰は一廠から五厰まで作られましたが、工芸美術師クラス以上の職称の作家はが皆自宅に工房を構え個人営業となり工場壺は価値のないものになっていきました。